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海外の平和記念資料館について(オランダ、ルワンダ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2023年5月に開催されたG7広島サミットでは各国首脳による広島平和記念資料館の訪問が話題になりました。広島や長崎に資料館があるように海外にも戦争・紛争に関する平和記念資料館が存在します。そこで今回は、私が過去に訪れたこれらの施設についてご紹介します。

 

■オランダ(アムステルダム):アンネ・フランクの家 The Anne Frank House

観光地としても有名ですので、ご存知の方も多いかと思います。1942年から2年間、アンネ・フランク一家がナチスの強制収容所に送られるまで隠れ住んでいた家を利用した資料館です。隠し部屋に通じる入口になっている回転式の本棚、アンネの日記を書いた屋根裏部屋などが再現されています。アンネの日記の内容やアンネ・フランク一家が辿る 運命を追体験できるようになっています。

 

アムステルダムの運河

 

■ルワンダ(キガリ):キガリ虐殺記念館  Kigali Genocide Memorial

東アフリカに位置するルワンダには、1994年に発生したルワンダ虐殺に関する資料館があります。虐殺が発生した経緯を説明した資料の他、犠牲となった人々の遺品・写真や遺骨も一部展示されています。また敷地内には首都キガリとその周辺で見つかった25万人分ともいわれる多くの遺体が葬られた集団墓地があり花が手向けられています。犠牲となった子供の展示では、子供の生前の写真と共に次のようなプロフィールが一人一人展示されています。

 

・名前

・好きなもの(チョコレート、サッカー、お母さんなど)

・どんな性格だったか

・将来の夢

・享年(10歳、5歳、3歳、9か月など)

・どのように死を迎えたか(鉈で切り殺される、銃で打たれる、壁に叩きつけられるなど)

 

ルワンダ人の運転手によると、現地の学校では平和学習として本記念館を訪問するそうです。そういう彼も子供の頃にルワンダ虐殺で両親を亡くしており親戚の家で育ったとのことでした。なおキガリ以外にもムランビ虐殺記念館(虐殺現場となった元学校)などルワンダには6か所の記念館があります。

 

なお虐殺後に設立されたルワンダ政府は、虐殺の遠因となったかつて植民地支配のために利用された「フツ族」「ツチ族」という考え方を否定し、「ルワンダ人」のみ存在すると定義しています。また賛否はあるもののガチャチャ裁判(草の根裁判)制度により通常の司法制度以外にも各地域社会ごとに市民参加型裁判を行い住民の和解を促進する取り組みを行いました。町の環境美化については、2008年以降ビニール袋を利用することや海外から持ち込むことも禁止し、街の清掃を進めることなどを推進してきました。

 

これらのような複数の取り組みにより、現在のキガリは治安が良く綺麗な丘の街として知られています。なお近年ではJICAはルワンダにて道路や水などのインフラ支援の他、ICT教育や農業の高度化などに関する支援を行っています。

 

キガリ郊外の丘

 

■ボスニア・ヘルツェゴビナ(モスタル):戦争と虐殺の犠牲者の博物館1992-1995  Museum of War and Genocide Victims 1992-1995

1992年から1995年に南東ヨーロッパのバルカン半島で発生したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に関する資料館です。集団埋葬地(この場合、虐殺を隠蔽するために埋められたもの)から発掘された遺品をはじめとした当時の資料や記録、当時の住民の地下隠れ家を模した展示などがあります。集団埋葬地の発掘調査の写真もあり、中には手を縛られた状態で遺棄されたご遺体 の写真もあります。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で亡くなったのは男性が多いのですが、臨月の妊婦さんのご遺体が発掘された例もあります 。 当時の虐殺の様子を一部記録したとされる次のような動画も展示されています。

 

    • ・家畜のようにトラックで運ばれてきた手足を縛られた数名の男性が、森のような場所で銃殺される。
    • ・運ばれてきたうち一人残った青年(犠牲者と同じ民族)は、数名の遺体を集団埋葬地に運ぶことを強要される。
    • ・その後、更にこの青年が、近くの廃墟に追い込まれて銃殺される。

 

館内には、来館者がその国籍と平和に関するメッセージを書いた色とりどりの紙が壁一面に貼ってあるスペースもあります。このような悲劇はあってはならないというような感想、平和への祈り、他国で現在戦争を引き起こしている某指導者に対する怒りまで多様な意見があります。

 

なお紛争後、同国における主な3つの民族(ムスリムが多数を占めるボスニャック人、カトリック教徒が多いクロアチア人、正教徒が多いセルビア人)は、ボスニャック人とクロアチア人が主体の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人が主体の「スルプスカ共和国」の二つの政府に分かれ、一つの国に三つの政府(先述の2件およびそれを統括する中央政府)が置かれることになりました。一方、民族間の交流を進める取り組みも多数行われており、日本もJICAをとおしてICT教育やスポーツ、地域開発などで民族間の協力を促進する活動を支援してきました。2023年時点で実施中の「西バルカン地域中小企業メンター制度強化」プロジェクトも広い意味では、この延長であるとも言えます。

 

このように各民族の自治を認めたことや民族間の融和を進めたことで、現在のボスニア・ヘルツェゴビナは治安の良い場所となっています。モスタルは世界遺産であるオスマン帝国時代の美しい石畳の旧市街があることから観光地として知られています。またボスニア・ヘルツェゴビナ国内にはサラエボにも紛争に関する資料館がある他、スレブレニツァなどに虐殺記念碑や発掘された遺体を葬った墓地があります。

 

モスタルの旧市街



各資料館を訪れると、戦争・紛争を引き起こさないために政治・経済・治安・地域社会などさまざまな側面の安定化を促進する平和構築支援 の重要性についても考えさせられます。日本は、JICAをとおして難民キャンプ・難民受け入れ地域の支援、職業訓練による雇用の安定に係る支援、地方自治体の透明性強化や住民との協働促進の支援、現地警察官の捜査や治安維持の能力強化に係る支援などを行っています。もちろんこの他にも難民支援や職業訓練などを行っている民間のNGOなどもあります。

 

平和を維持する重要性を考える平和学習 は様々な形があり、関連する本や漫画、映画などに触れること、戦争・紛争を経験した人が当時の様子を語る映像などを視聴すること、討論会のような形で意見交換を行うことなどがあります。また平和学習の機会をとおして、戦争・紛争の悲惨さを知るだけではなく、戦争・紛争の遠因となることの多い差別や偏見を生まないために、異なる背景を持つ人達とお互いの文化や考えを理解し合うことも重要です。これに加えて「百聞は一見に如かず」ではないですが、事実から目をそらさないこと、資料館などで実物を見て考えることは、数十年後も記憶に残るという点で大切なことなのかもしれません。

 

※情報は各現地の訪問時点(2014年から2023年)のものです。

 

コンサルティング第一本部 社員

 

参考

JICAの取組み  平和構築支援(2020年6月版)
https://www.jica.go.jp/publication/pamph/issues/commitment_peace.html


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